SNSが怖くなった。共感されたい自分が、あまりに不自然で。
「いい話をしなきゃ」
「感動してもらえるようなことを書かなきゃ」
「共感される投稿じゃないと意味がない」
そう思いながら書いた投稿は、どれも綺麗だった。
構成も整ってるし、結論も前向きだし、誰に見られても恥ずかしくない。
でも、いいねも、コメントも、DMもこなかった。
それより怖かったのは、自分で読んでも
まったく心が動かなかったことだった。
起業したばかりの頃、私はもっと素直だった。
「できない自分」をそのまま出していたし、
うまく言えなくても、それでも“誰かに届いてほしい”って気持ちだけは本気だった。
でも、数ヶ月しても反応がないままで。
「このままじゃダメなんだ」と焦って、
誰かがやっている“正しそうな発信”を真似しはじめた。
投稿するたびに、心がすり減っていった。
「これは誰かに刺さるかな?」
「フォロワー減らないかな?」
「反応なかったら、私が否定されたことになるのかな?」
そう思いながら書いた文章は、どれも他人行儀だった。
そしてある日、投稿を見返して、心の中で小さくつぶやいた。
「…誰、この人」
私は、自分の声を見失っていた。
SNSが怖くなったのは、そのすぐ後だった。
ネタはあるのに書けない。
本音はあるのに出せない。
出しても、届け方がわからない。
投稿画面を開いては、閉じて、
スマホの通知が気になっては落ち込んで。
まるで、感情を削りながら発信しているみたいだった。
私はずっと、「共感されなきゃ意味がない」と思ってたけど、
そもそも共感って、つくりにいくものじゃなかったんだ。
本音の中には、実はたくさんの“共感のタネ”がある。
でも、それを見つけるには、まず自分が自分に共感する必要がある。
「この経験、誰にも言えなかった」
「この失敗、恥ずかしい」
「この想い、きっと価値がない」
そんなふうに見ていたものほど、
誰かにとっての“希望”になることがあるって、私はようやく知った。
どれだけ本音でも、それが届く形になっていなければ、誰にも見つけてもらえないという事実。
SNSには“届け方”がある。
・いつ投稿するか
・どんな構成で話すか
・どうやって「誰かの物語」に変えていくか
・そして、どう「仕組み」に乗せていくか
これを知らないまま発信しても、まるで瓶に入れた手紙を海に投げているようなものだった。
これが揃って、ようやく「共感される投稿」になる。
「本音はあるのに発信が苦しい」
「共感されたいのに自分を見失いそう」
そんな女性たちと一緒に、共感される言葉の見つけ方と、届け方をつくる時間を始めています。
ここでは、
? 本音を引き出す、やさしい問いかけ
? 共感されるストーリー構造のテンプレート
? SNSで“ちゃんと見つけてもらえる仕組み”を実践
?♀️ ITが苦手な人でも安心してついてこれるサポート
全部、ひとりで頑張らなくていい場所にしました。
実際に参加されるのは——
✔ 共感疲れしてしまった女性起業家さん
✔ SNSで「何を話せばいいかわからない」方
✔ 50代でITに不安があるけれど、届けたい想いがある方
それが、あなたの言葉に力を与えるから。
? 顔出し・声出しナシでも大丈夫
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SNSに疲れたあなたが、
“もう一度、言葉を信じられる日”のために。