【懺悔】「先生は忙しそうだから...」患者さんにそう言わせた瞬間、あなたの治療院は"見捨てられている"という事実に気づいていますか?
数年前の、ある深夜のことだ。
カチャカチャという乾いたキーボードの音だけが、暗い部屋に響いていた。 時計の針は、もうすぐ午前3時を指そうとしている。
目は充血し、指先は微かに震えていた。 けれど私は、それを「心地よい疲労感」だと錯覚していた。
モニターの光だけが頼りの暗闇の中で、私は届いた数十件の問い合わせメールに対し、一つひとつ、手動で返信を打ち込んでいた。
テンプレート? 言語道断だ。 コピペ? プロとして許せない。
私の強みは「共感力」と、一人ひとりに寄り添う「個別対応」だと思っていた。 だからこそ、身を削ってでも、その人だけのために紡いだ言葉を返さなければならない。 それが「誠実さ」であり、治療家としての流儀だと信じて疑わなかったのだ。
「これだけ身を粉にして働いているのだから、私の想いは必ず伝わるはずだ」
深夜のハイな脳みそで、私は自分の疲労感に陶酔していた。 自分の時間を犠牲にすればするほど、提供する価値は高まると本気で思っていた。
しかし、限界は突然訪れた。
プツン、と頭の中で何かが切れる音がした。 次の瞬間、立っていられないほどの眩暈に襲われた。過労による高熱だった。
私はそのまま床に倒れ込み、丸3日間、スマホを見ることすらできずに寝込んでしまった。 意識が朦朧とする中で、通知音が鳴り続けていたが、手を伸ばす力さえ残っていなかった。
3日後。 ようやく熱が下がり、泥のように重い体を引きずってデスクに戻った。
「申し訳ないことをした。でも、事情を話せばきっとわかってくれるはずだ」
そんな甘い考えで、恐る恐るたまっていたメールボックスを開いた時。
私はある1通のメールを見て、サーッと血の気が引くのを感じた。
それは、怒りのクレームでもなければ、事務的な通知でもなかった。 もっと残酷で、静かな、絶望的なメールだった。
私が最も大切にし、長く信頼関係を築けていると思っていた、ある常連の患者さんからだった。
『先生。 実は一昨日、急に腰が動かなくなってしまって…… 先生に相談しようと思ったのですが、最近のSNSを見ていて、あまりにもお忙しそうでしたし、なんだか体調も悪そうだったので、連絡するのを遠慮してしまいました。 今回は近所の整形外科で痛み止めをもらってなんとか凌ぎました。 お体、大事にしてくださいね』
その瞬間。 私は自分の愚かさに、物理的に殴られたような衝撃を受けた。
涙が出た。悔しさではない。 自分のあまりの「傲慢さ」に対する絶望で、涙が止まらなかった。
私は「誠実」であろうとしていた。 自分の手で尽くすことが、愛だと信じていた。 「忙しい」ということは、必要とされている証拠だと誇りに思っていた。
しかし、患者さんから見れば、それは違ったのだ。
私は「頼りになる熱心な先生」などではなかった。 いつ倒れるかわからない、忙しすぎて話しかける隙もない。
「危なっかしくて、気を使わせる、頼りない存在」でしかなかったのだ。
あの方があの夜、激痛に襲われ、脂汗をかいてスマホを握りしめていたその瞬間。 一番頼りにしたかったはずの相手である私は、 「手作業へのこだわり」という自己満足に酔いしれ、勝手に限界を迎え、勝手に意識を失っていたのだ。
「私が動かないと価値がない」 「私の言葉でないと伝わらない」
そんな思い込みは、私の汚いエゴでしかなかった。 そのエゴが、一番助けを求めている瞬間に、患者さんを孤独にさせてしまったのだ。
もしあの時。 私が毛嫌いしていた「自動応答の仕組み」が一つでも動いていれば。
「急な痛みですね、辛いでしょう。まずはこちらの応急処置動画を確認してください。そして、明日の朝一番で状況を教えてください。必ず対応します」
そんなメッセージが、即座に届いていれば。 あの方は、痛みと不安の中で孤独に震えることなく、「先生と繋がっている」という安心感の中で朝を待てたかもしれないのだ。
私の「アナログな温かみへの固執」が、結果として最も冷酷な形で患者さんを突き放したのだ。
先生、あなたに聞きたい。
あなたは今、「患者さんのために」と言って、 すべての業務を自分の手でやろうとしていないだろうか? 「機械に任せるなんて冷たい」と、深夜まで残業して、疲れた顔で翌朝の診療に向かっていないだろうか?
その姿を見て、患者さんは「熱心な先生だ」と感動しているかもしれない。 だが同時に、心のどこかで、こんな風に思っていることに気づいているだろうか?
「先生、いつも疲れてそうだな……。ちょっと気になる症状があるけど、相談するのはやめておこう」 「こんな夜中に連絡したら、迷惑かもしれない」
あなたのその「優しさ」や「こだわり」が、 実は患者さんに「遠慮」という見えない壁を作らせているとしたら?
そして、その遠慮の末に、彼らが他の院へ行ってしまったり、症状を悪化させてしまっているとしたら?
それは、治療家として、あまりにも悲しいすれ違いではないだろうか。
「先生は忙しそうだから」 この言葉は、優しさではない。あなたへの「静かな絶縁状」なのだ。
私が倒れて、身をもって学んだ真実は、残酷だがシンプルだ。
治療院経営において、 「安定してそこに在り続けること」こそが最大の「誠実」である。
あなたが寝込んでいても、家族と旅行していても、 24時間365日、変わらぬテンションで、即座に反応し、手を差し伸べてくれる窓口があること。 それこそが、患者さんにとっての本当の「安心」なのだ。
「私がいないと回らない」 それは職人の誇りではない。経営者の怠慢だ。
あなたが倒れた瞬間、あなたの院の機能は停止する。 その時、「すみません、寝込んでいました」という言い訳は、痛みの中にある人には何の意味も持たない。
あの日、私が失った信頼はもう完全には戻らないかもしれない。
けれど、あなたはまだ間に合うはずだ。
自分の身体が一つしかないことを認めてほしい。 そして、「自分以外でもできること」を自分だけで抱え込む罪深さに気づいてほしい。
手放すことは、冷たさではない。サボることでもない。 いつでも、どんな時でも、患者さんを受け止めるための、プロとしての覚悟の証なのだから。
今夜、あなたの院の明かりが消えた後。 暗闇の中で、誰かが痛みに耐えかねて、あなたの助けを求めてスマホを握りしめているかもしれない。
その時、画面の向こうで待っているのは、 疲れ果てて眠っている、生身のあなたか。
それとも、あなたの想いを乗せて、 24時間休まず寄り添い続ける「もう一人のあなた(仕組み)」か。
患者さんが本当に求めている「誠実さ」とは何か。 もう一度、胸に手を当てて考えてみてほしい。