「金儲けは汚い」と信じるあなたへ。貧乏で誠実な治療家より、稼ぐ“不誠実”な治療家の方が、結局多くの命を救える残酷な理由。
消毒用エタノールの匂いが染み付いたこの手が、私は好きだった。
朝から晩まで立ち尽くし、指の関節が悲鳴を上げても、 目の前の患者さんが「楽になった」と笑ってくれるなら、それでいい。
汗水垂らして働くことこそが尊い。 自分の時間を切り売りして、相手に奉仕することこそが「誠実」だ。
そう信じていた。 いや、信じようとしていたのだと思う。
かつての私は、「動画講座」や「オンライン指導」を売っている同業者を軽蔑していた。
「手を使わずに金を稼ぐなんて、治療家としての魂を売ったのか?」 「患者さんの体を触りもしないで、何が治療だ」
彼らがSNSで成功を見せびらかすたびに、私は自分のボロボロの白衣を見つめ直し、 「私は違う。私は本物だ」と自分に言い聞かせてきた。
私の価値は、この手にある。 この指先の感覚にこそ、全てがあるのだと。
だが、その誇り高き「誠実さ」が、実はただの「傲慢」だったと気づかされたのは、ある雨の日のことだった。
きっかけは、些細な不注意だった。 通勤途中の階段で足を滑らせ、とっさに手をついた瞬間、手首に激痛が走った。
「折れているかもしれない」
プロとしての直感が、最悪の事態を告げた。 病院の待合室で、私は震える左手を押さえながら、スマホのカレンダーを見つめていた。
今日、予約が入っている7人の患者さん。 明日、明後日の予約。 来週の定期検診の約束。
そのすべてに、キャンセルの電話をかけなければならない。
「申し訳ありません、怪我をしてしまいまして……」
電話の向こうで、患者さんが落胆する空気が伝わってくる。 「そうですか……先生、お大事にしてくださいね」
優しい言葉が、逆に胸をえぐる。
その言葉の裏にある、 「じゃあ、私のこの痛みは誰が取ってくれるの?」 という無言の叫びが聞こえるようだった。
家に帰り、誰もいない部屋で天井を見上げた時、本当の恐怖が襲ってきた。
痛みのせいではない。 「私の機能が停止した瞬間、患者さんも路頭に迷う」という事実に対する、底知れぬ恐怖だ。
私は、自分の体を資本にする「職人」だった。 私が動かなければ、1円も入らない。 そして、誰も救われない。
その時、ふと、私が軽蔑していたあの「不誠実な」治療家の顔が浮かんだ。
彼は、オンラインでストレッチ動画を販売し、会員制のコミュニティを持っていた。 彼がもし私と同じように手首を折ったら、どうなるだろうか?
彼は、焦らないだろう。
彼が寝ている間も、彼の「分身」である動画が、患者さんにセルフケアを指導し続ける。 彼のオンラインサロンでは、スタッフや過去のアーカイブが、患者さんの悩みに答え続ける。
彼の収入は止まらない。 そして何より悔しいのは、
「彼の患者さんは、彼が不在でも救われ続けている」
という事実だ。
私の患者さんはどうだ? 私が倒れた瞬間、痛みに耐えながら、他の治療院を探している。 あるいは、「先生が復帰するまで待ちます」と言って、痛みを我慢し続けている。
どちらが、本当に「誠実」なのだろうか?
自分の美学に酔いしれ、リスク管理を放棄し、自分が倒れたら患者共倒れになる私か。 それとも、泥臭い「金儲け」と罵られようとも、自分がいなくても患者を守れる仕組みを作り上げた彼か。
私は、「清貧」という言葉を盾にして、責任から逃げていただけだったのだ。 「お金の話をするのは汚い」 そう思い込むことで、自分のビジネスの脆さから目を背けていただけだった。
本当の「汚さ」とは、お金を稼ぐことではない。
「自分に何かあったら、患者さんを守れない」という状態を放置し続けること。 それこそが、プロとして最も汚く、不誠実な態度ではないのか。
涙が止まらなかった。 情けなくて、悔しくて、そして怖くて。
あの夜、私は誓った。 もう二度と、自分の体を言い訳にしないと。
私は、パソコンを開いた。 慣れない手つきで、キーボードを叩き始めた。
今まで患者さんに口頭で伝えていたアドバイスを、文字に起こした。 痛みが引かない時の対処法、再発を防ぐための生活習慣。
私の頭の中にある「資産」を、すべて形に残そうとした。 これは商品ではない。患者さんへの「ラブレター(遺言)」だ。 もし明日、私が死んでも、この知識だけは患者さんの手元に残るように。
それを「デジタル商品」として患者さんに提案した時、返ってきたのは意外な言葉だった。
「先生、こういうのが欲しかったんです!」 「家で一人で痛くなった時、これを見ると安心します」 「先生がそばにいてくれるみたいです」
私は、大きな勘違いをしていた。 患者さんが求めていたのは、私の「手」だけではなかった。 私の「知識」であり、「安心」であり、「導き」だったのだ。
それをデジタルというパッケージにして渡すことは、決して「手抜き」ではない。 むしろ、物理的な制約を超えて患者に寄り添う、究極の「誠実さ」の形だったのだ。
そして、その対価として得られる収益は、私自身の精神を安定させてくれた。 「もし何かあっても、家族も患者さんも守れる」という安心感が、皮肉にも、日々の施術の質を劇的に向上させた。
焦りや不安が消えた私の手は、以前よりもずっと温かく、患者さんの深層に届くようになった気がする。
今、あなたに問いたい。
あなたはまだ、「清貧」という名の呪いに縛られていないだろうか? 「手技一本で食っていく」というプライドが、いつかあなた自身と、あなたを信じてくれる患者さんを傷つける凶器になる可能性に、気づいているだろうか?
お金を稼ぐことを恐れないでほしい。 仕組みを作ることを、ズルいと思わないでほしい。
あなたが稼ぐことは、ただの贅沢のためではない。 あなたが倒れた時、あなたを信じてついてきてくれた人たちを守るための、唯一の「命綱」なのだから。
治療家の仕事は、施術ベッドの上だけで完結するものではない。 患者さんの人生そのものを支える覚悟があるのなら。
あなたのその知識を、その経験を、そしてその愛を。 まずはスマホで動画を一本撮るだけでいい。 「形」にして残す勇気を持ってほしい。
それが、本当の意味で「命を救う」ということなのだと、今の私なら胸を張って言える。
【問いかけ】 もし明日、あなたがベッドから起き上がれなくなったとしたら。 あなたの患者さんは「路頭に迷う」でしょうか? それとも「あなたの分身に救われる」でしょうか?
正直な今の現状を、コメントで教えてください。 (あなたの覚悟を、私は否定しません)